競輪の厳しい世界の中で活躍されている太田海也(おおたかいや)選手。
筋肉美がすごい!かなりなイケメン選手ですよね。
そこで2024年パリオリンピックでの活躍が期待されている、太田海也選手の地元や出身中学についてまとめてみました。
進学した日本大学ではかつてボート部に所属していたことも判明。
なぜボート競技から競輪に転向したのか?気になるところです。
本記事では
- 太田海也選手の出身中学校はどこなのか?
- 太田海也選手が日本大学でボート部から競輪に転向した理由
について深堀していきます!
本記事を読んでパリオリンピックの太田海也選手を応援しよう!
太田海也の出身中学校はどこ?
太田海也選手の出身中学校はどこなのか?調べたところ、残念ながら情報は公開されていませんでした。
岡山県岡山市にある公立小学校を卒業されているため、中学受験や引っ越しをされていなければ同じく岡山市内の中山中学校の可能性が高いです。
中学校時代にはレスリングとサッカーという2つの競技に打ち込み熱中していた様ですよ。
その後進学した高校では競輪ではなく、なんとボート競技を始めたそうです。
現在の太田海也選手は、競輪選手として輝かしい成績をおさめていますが、中学生時代から
レスリング、サッカー、ボートと様々なスポーツを経験されてきたんですね。
中学校ではレスリングとサッカーをしていた
レスリングは筋力と技術、サッカーはチームプレーとスピードを重視するスポーツ。
これらの異なる特性を持つスポーツに取り組む中で、太田海也選手は自身の能力を多角的に伸ばすことができました。
レスリングでは身体の強さを、サッカーでは瞬時の判断力や協調性を鍛え上げたんですね。それが後に高校でのボート競技、さらにその後の競輪選手としての基礎を築いたといえます。
備前緑陽高校のボート部に所属
太田海也選手は中学校卒業後、備前緑陽高校のボート部に所属し、インターハイで全国優勝や国体で全国準優勝するなどの活躍をみせていました。
高校3年生のときにはボート競技において、なんと日本代表U19の東京オリンピックの強化選手として選ばれたそうです!
太田海也が日本大学でボート部から競輪に転部した理由
太田海也選手は備前緑陽高校のボート部で全国レベルの活躍を見せ、日本大学に進学。しかし、大学入学後7カ月で腰痛や成績の伸び悩みがあり、ボート競技を辞める決断をしたようです。
大学入学後の太田選手は、腰痛に苦しみながらも努力を続けていましたが、思うような成果を出すことができず、自身の進むべき道に不安を抱くようになりました。
そこで太田海也選手は違う道を模索し始め、自分が納得できる結果を残せる競技人生を再スタートさせるため、競輪という新たなスポーツに挑戦する道を選びました。
ボートですごく自分自身に壁を感じてしまい、日本国内・世界で自分を比較した時に、もうこれ以上はいけないんじゃないかなって思った時に、他のことに転向しようと決意しました。ボートなどいろいろな競技をしてきたんですけど、一番は精神面だったりとか、筋力面がとても自分の中では自転車に役立っているなと思います」
引用元:競輪戦線
同時に太田海也選手は日本大学も中退し、ゼロからやり直す覚悟を持って新たに競輪という競技に挑戦したんですね。
太田海也の出身中学校はどこ? まとめ
以上、「太田海也の出身中学校はどこ?日本大学でボート部から競輪に転向した理由とは」をお届けしました。
公表はされていませんが、太田海也選手の出身中学校は中山中学校の可能性が高いようです。
この中学校でのレスリングとサッカーの経験が彼の運動能力を鍛え、その後の競輪の競技人生への基盤を築きました。
太田海也選手の多才なスポーツ経験とその中で培った精神力が、後の競技転向や新たなチャレンジに大きな影響を与えたのは間違いありませんね。
引き続き、太田海也選手を応援していきたいと思います!